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子どもの力を伸ばすヒ・ミ・ツ


~中卒でパチプロ志望の二男が医学部に合格~

才能とか頭の良し悪しは生まれつきだと思っていました。
でも、ある事件をきっかけに【子どもの力を伸ばす技術】を発見しました。

中学3年生の三者面談の前日
「僕、高校行かないわ!」
「えっ?」
「パチプロになる!」

絶句!
あまりの衝撃で目の前がクラクラっとなりました。

三者面談は惨憺たるものでした。
私の育て方のいったい何がまちがっていたの?

ADHDの傾向がある扱いにくい子どもでしたが、
私なりに一生懸命育ててきました。

どうしてこんなことに・・・・
私の心は呆然と立ちすくんでしまいました。

しかし、時間は容赦なく流れていきます。

「一刻も早くこの閉塞感、混沌とした状態から抜け出したい!」
あの時やっておけば。。。なんて後悔をしたくはありません。
この壁を乗り越えるには新しい何かが必要だ!

「いかなる問題も、その問題を作り出した同じ思考によって
解決することはできない」by アインシュタイン

今までやってこなかった対処法・・・

私は素朴な疑問と好奇心で
「どんなパチプロになりたいの?」と、質問しました。

「いっぱい取材されて雑誌にバンバン載るようなかっこいいパチプロ」
「そうかぁ、パチプロってかっこいいんだ」

こんな会話、今までしたことありません。
「何馬鹿なこと言ってんの!自分の将来でしょう!まじめに考えなさい!」と、
怒鳴って説教して決裂です。口もきかなくなるでしょうね。

もちろん高校受験に失敗。
中卒の彼を私はパチンコ屋に車で送り迎えをしていました。

いろいろありすぎて書ききれないので割愛しますが、
結局、彼は2年遅れで州立高校へ行くことになりました。
入学当初はもちろんビリ。進路指導の先生との面談では
「医療系に進みたいです」と言った彼に、先生はぷっと噴出して
「まさか、医者とか言わないでよね」と言われたそうです。

しかし、卒業時の成績はオールA。彼は成績優秀者リストに載り、
州立大学の医学部に出願する権利を得たのです。


なぜ、こんな奇跡が起こったのでしょうか。
みなさんは「彼が生まれつき才能や能力があったからだ」と言うでしょう。
そうです。そのとおりです。
すべての人はすばらしい才能や能力を持って生まれてきています。

あとはその能力をどこで、どう活かすかです。
子どもが力を発揮できる環境を整えること。
信じて応援し続けることが最も重要な親の役目です。

子どもの力を伸ばす技術を機能させるためには
環境整備(場作り)必須だということを実感しました。
また、環境整備にははずせないステップがあるということを子育ての経験を通して得
ました。さらに、ステップを踏むためには効果的で楽しい仕掛けを工夫することなど。

親は子どもたちの無理難題にどう対応するかが試されるていのです。
人を育てるという役割は最も尊く重要な仕事だと思います。

子育てはやり直しのきかない人生ゲームであり、すべてに通じる壮大なプロジェクトです。
この壮大なプロジェクトを成功させる鍵は早い段階で親と子の絆をしっかり結ぶことです。

どんなことがあっても、
『信じてるよ、応援してるよ、愛してるよ』と声をかけつづけること。

それができたら世界一のあなたになれる。

子ども時代のヒ・ミ・ツ ~50過ぎの親離れ子離れ~


「私なんて・・・」って思うことないですか?

「親を殺さず、自殺もしないでよく生き抜いてきたね!」
これが私から私への賛辞。

田舎の旧家、厳しい両親からほめられた記憶などほとんどない。

がんばってもがんばっても不足な自分を見せつけられてきて、
あれもできない。これもダメ。こんな私は生きる価値がない。

でも、元気で明るい振りをして生きてきた。

疲れて息が詰まりそうな閉塞感から海外へ行く夢を見る。

高校のとき、偽名を使って受けた留学試験。
逃げるようにアメリカへ行った。


「あぁ、こんな世界もあるんだ!」

ダウン症の長女と4人の兄弟との暮らし。
アメリカ人夫婦のパートナーシップ。
子どもたちへの対応の違い。
合理的で明確な家族のルール。

対極にある家族を体験して感じた。

「生活を楽しんでもいい」
「障害があっても隠さずどーんと見せちゃえばみんな笑顔になれる」
「親とは別の人格を持ち、子どもであっても尊重される」

自分を生きようと決心して意気揚々と帰国したが、
結局、「親が引いたレールを走ること」を選択してしまった。

親を悲しませてはいけない。親に迷惑かけないようにすることが私の使命なのだと
自分を納得させて、自分の心を麻痺させて生きることを選んだ。

がんばったんだけど・・・
離婚や大学病院を退職するなど両親の期待にどうしても沿えないことが続いた。
「親不孝者」と怒鳴られ、「人間失格」となじられてブチ切れた。
もうやめよう。十分やってきた。親の主催するレースからフェードアウトしてもいい。
そう自分に許可を出すことにした。うれしかった。

そして、心からの自由を手に入れるために、染み付いた「ネガティブな信念」を
「応援する信念」に書き換えなければならないことに気づき
心理学やコーチングを徹底的に学び信念の書き換え術を身につけた。
自在に信念を書き換えることができるようになり、人生を快適に楽しんでいる自分がいる。

いろいろあったけど、今は親に感謝している。
「私は幸せです。本当にありがとう」と素直に言えるまで50年かかりました。

心から、私を生み育ててくれてありがとうございます。

子どものキモチ ~子どもたちに教えてもらった~


子どものけなげさや小さな子どものやさしさに感動したことないですか?

今、想い出しても涙が出てしまいます。

大学病院に勤めていた私は朝早く出て、夜遅く帰る。
仕事と小さな子どもの世話で目が回りそうな毎日でした。
座ってご飯を食べた記憶がないほど忙しかったんです。

ある日。深夜1時を回っていました。

目をこすりながら長男が起きてきて

「ママ、あのね、ぼくね、おにぎり二つだけでいいの。
あとはね、なーんにもいらない。だから、ママ、遠足のお弁当作ってね。
ごはんだけのおにぎりでいいから作ってね。」

台所でお弁当の準備をしていた私は

「お弁当を作るに決まっているでしょ!
そんなこと心配しないでさっさと寝なさい!」

長男は「うん、ママ、ありがとう」ってニッコリわらって
お部屋に戻って行きました。

はじめ、私は母として子どもから信用されていないんだなって、
がっかりと同時にちょっとムッとしてしまいした。
こんなに一生懸命やっているのにと・・・・

でも、ふっと、
彼の言葉「ごはんだけのおにぎりでいい」
これは、いつも忙しい私に負担をかけまいと思う彼のやさしい気持ち。

そう思ったら、なんだか涙があふれてきました。

あんな小さな彼の体から、おとなの私に対する思いやりのキモチ。
「ママ、ありがとう」って笑みを浮かべたあの子のけなげさ。

「私のほうこそありがとう。」